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世界中で約3億人、特に希少疾患を持つ人々が、診断の遅れや効果的な治療法の不在という深刻な課題に直面しています。これは、従来の「万人向け」医療モデルの限界を浮き彫りにする統計であり、個々の患者に最適化された治療法を求める声が高まっていることを示唆しています。遺伝子技術の飛躍的進歩、特にCRISPRのような革新的なツールは、この状況を一変させ、個別化医療という新たな時代の到来を告げています。本稿では、CRISPRを中心とした遺伝子編集技術がどのように個別化医療を推進し、より健康な未来を創造する可能性を秘めているのかを深く掘り下げていきます。
個別化医療の夜明け:遺伝子技術が拓く新時代
個別化医療とは、個々の患者の遺伝子情報、生活習慣、環境要因などを総合的に分析し、その人に最適な予防、診断、治療を提供する医療アプローチです。これは、画一的な治療法ではなく、個人差に応じた精密な医療を実現することを目指しています。特に、遺伝子レベルでの疾患理解が進むにつれて、その重要性は飛躍的に増大しています。「万人向け」医療の限界
従来の医療は、統計的に効果が高いとされる治療法を多くの患者に適用する「万人向け」のアプローチが主流でした。しかし、同じ病名であっても、患者によって薬の効き方や副作用の現れ方には大きな個人差があります。これは、個人の遺伝的背景や代謝能力の違いに起因することが多く、治療効果のばらつきや不必要な副作用のリスクを高める要因となっていました。例えば、特定のがん治療薬が一部の患者には劇的に効く一方で、他の患者には全く効果がない、あるいは重篤な副作用を引き起こすケースは少なくありません。遺伝子技術がもたらす変革
近年、DNAシーケンシング技術のコストが劇的に低下し、個人の全ゲノム情報を解析することが現実的になりました。さらに、CRISPR-Cas9のような画期的な遺伝子編集技術の登場は、病気の原因となる遺伝子を直接修正し、根治的な治療を可能にする道を開きました。これらの技術は、患者一人ひとりの遺伝子変異を特定し、その情報に基づいてオーダーメイドの治療戦略を立案するという、個別化医療の中核をなすものです。遺伝子解析を通じて、疾患の早期発見、発症リスクの予測、最適な薬剤の選択、そして究極的には病気の予防へと、医療のあり方そのものを根本から変革する可能性を秘めているのです。CRISPR-Cas9の衝撃:遺伝子編集の核心とその革命
2012年、科学界に衝撃が走りました。ジェニファー・ダウドナとエマニュエル・シャルパンティエによって報告されたCRISPR-Cas9システムは、生命科学の歴史における最も重要な発見の一つと称され、その功績により両者は2020年にノーベル化学賞を受賞しました。この技術は、特定のDNA配列を高精度かつ比較的容易に編集できるツールとして、世界中の研究室で瞬く間に普及しました。CRISPR-Cas9の仕組みと応用
CRISPR-Cas9システムは、細菌がウイルス感染から身を守るために持つ免疫システムに由来します。その核心は、「ガイドRNA」と呼ばれる短いRNA分子と、「Cas9」というDNA切断酵素の組み合わせにあります。ガイドRNAは標的となるDNA配列を認識し、Cas9酵素をその部位へと誘導します。Cas9はその部位でDNAの二重らせんを切断し、細胞自身の修復メカニズムを利用して、切断箇所に新しい遺伝子情報を挿入したり、不要な遺伝子をノックアウトしたりすることが可能になります。 この革新的な仕組みにより、CRISPR-Cas9は多岐にわたる応用が期待されています。- 遺伝子治療: 遺伝性疾患の原因となる異常な遺伝子を修正し、根治を目指す。
- 疾患モデルの作成: ヒトの疾患を模倣した動物モデルや細胞モデルを効率的に作成し、病態解明や新薬開発に貢献する。
- 農業・バイオ燃料: 作物の品種改良やバイオ燃料生産効率の向上など、産業応用も進む。
その革命的インパクト
CRISPR-Cas9の登場以前にも遺伝子編集技術は存在しましたが、その精度、効率、そして操作の容易さにおいて、CRISPRは群を抜いていました。これにより、これまで手の届かなかった遺伝子レベルでの介入が飛躍的に身近なものとなり、研究のスピードが劇的に加速しました。特に、遺伝性疾患の治療への応用は、多くの患者とその家族に新たな希望をもたらしています。例えば、鎌状赤血球症や嚢胞性線維症など、単一遺伝子疾患に対する臨床試験が既に進行中であり、その成果が待たれています。"CRISPR-Cas9は、生命の設計図を書き換えることを可能にする、まさにゲームチェンジャーです。この技術がもたらす可能性は計り知れず、私たちはその倫理的側面にも真摯に向き合いながら、人類の健康と福祉に貢献する道を模索し続けるべきです。"
しかし、その強力な能力ゆえに、CRISPRには倫理的な議論も常に伴います。特に、ヒトの生殖細胞系列の編集に関する議論は、社会全体で深く検討されるべき重要な課題となっています。
— 山本 健一, 国立遺伝子疾患研究所 所長
ゲノム情報が拓く未来:個別化医療の基盤技術
個別化医療を現実のものとするには、個々の患者のゲノム情報を正確かつ網羅的に理解することが不可欠です。この情報こそが、疾患のリスク予測、診断、そして最適な治療法選択のための羅針盤となるからです。近年、ゲノムシーケンシング技術の進化とバイオインフォマティクス(生物情報科学)の発展により、この基盤は飛躍的に強化されています。ゲノム情報の解読:シーケンシング技術の進化
ヒトのゲノムは約30億塩基対からなる膨大な情報ですが、2003年のヒトゲノム計画完了以来、その解読コストと時間は劇的に短縮されました。次世代シーケンサー(NGS)の登場により、現在では数日で個人の全ゲノムシーケンスが可能となり、コストも1000ドル以下にまで下がっています。| ゲノムシーケンシングコストの推移 | 2001年 | 2007年 | 2012年 | 2020年 | 2023年(予測) |
|---|---|---|---|---|---|
| ヒトゲノムあたりコスト | 約1億ドル | 約100万ドル | 約4,000ドル | 約600ドル | 約300ドル |
出典: NHGRI (National Human Genome Research Institute) データに基づきTodayNews.proが作成。
このコストダウンは、全ゲノムシーケンシング(WGS)だけでなく、疾患に関連する遺伝子領域に焦点を当てた全エクソームシーケンシング(WES)や、特定の遺伝子パネルシーケンシングをより広範な臨床現場で利用可能にしました。これらの技術は、希少疾患の原因遺伝子特定、がんのドライバー遺伝子変異の検出、薬剤感受性遺伝子の解析などに不可欠な情報を提供します。バイオマーカーの役割:診断から治療効果予測まで
バイオマーカーとは、疾患の存在、進行度、薬剤に対する反応性などを客観的に測定できる生物学的指標のことです。ゲノム情報解析と並行して、血液や尿、組織などのサンプルから得られるタンパク質、代謝産物、循環腫瘍DNA(ctDNA)などのバイオマーカーの発見と活用が進んでいます。3,000+
現在までに特定されたヒト疾患関連遺伝子
90%
個別化医療の臨床試験でのバイオマーカー活用率
100万+
公開ゲノムデータベースに登録されたゲノム数
- 早期診断: 疾患の症状が現れる前に、バイオマーカーの変化を捉えることで早期診断を可能にする。
- 疾患進行度の評価: 疾患の重症度や進行スピードを客観的に評価し、治療戦略を調整する。
- 薬剤選択と効果予測: 特定の薬剤が効果を発揮しやすい患者を事前に特定し、不必要な治療や副作用を回避する。例えば、がん治療におけるPD-L1の発現レベルは、免疫チェックポイント阻害薬の効果予測に用いられます。
- 治療モニタリング: 治療中の効果をリアルタイムで評価し、治療法の変更や調整を行う。
CRISPRを超えて:次世代遺伝子編集技術と細胞療法
CRISPR-Cas9は遺伝子編集の分野に革命をもたらしましたが、その技術は常に進化しています。より高い精度、少ないオフターゲット効果(意図しない箇所の編集)、そしてより多様な編集能力を持つ次世代の遺伝子編集技術が開発され、臨床応用への期待が高まっています。また、遺伝子編集技術と細胞療法を組み合わせることで、難治性疾患に対する新たな治療アプローチも生まれています。より精密な遺伝子編集技術
CRISPR-Cas9はDNAの二重らせんを切断することで編集を行いますが、この切断は望ましくない細胞応答や挿入・欠失変異(Indel)を引き起こすリスクがあります。これを克服するため、以下のような技術が開発されています。- ベース編集(Base Editing): DNAの二重らせんを切断することなく、一塩基(A、T、C、G)を別の塩基に直接変換する技術です。これにより、単一の塩基置換によって引き起こされる多くの遺伝性疾患の治療が可能になると期待されています。例えば、鎌状赤血球症の原因となる点変異の修正に応用が進められています。
- プライム編集(Prime Editing): ベース編集をさらに進化させた技術で、「検索&置換」ツールとも呼ばれます。ガイドRNAと逆転写酵素を組み合わせることで、任意の短いDNA配列(数塩基から数十塩基)を切断なしで挿入、削除、置換することが可能です。これにより、より複雑な遺伝子変異や小さな欠失・挿入変異にも対応できるようになり、CRISPR-Cas9では困難だった病気の治療に新たな道を開く可能性があります。詳細はWikipediaのプライム編集の項目も参照してください。
遺伝子編集と細胞療法の融合
遺伝子編集技術は、体外で患者自身の細胞を操作し、体内に戻す「ex vivo」アプローチにおいて特に強力なツールとなります。その代表例がCAR-T細胞療法です。- CAR-T細胞療法: 患者自身のT細胞を取り出し、遺伝子編集によってがん細胞を特異的に認識・攻撃するよう改変(キメラ抗原受容体CARを導入)し、増殖させて体内に戻す治療法です。白血病やリンパ腫など、一部の血液がんに対して劇的な効果を示しており、個別化されたがん免疫療法として注目されています。遺伝子編集技術は、CARの導入効率を高めたり、T細胞の機能(例えば、疲弊しにくくする)をさらに強化したりするために利用されています。
- iPS細胞を用いた再生医療: 誘導多能性幹細胞(iPS細胞)は、あらゆる細胞に分化する能力を持つため、患者特異的なiPS細胞を作成し、それを遺伝子編集で修正した上で、必要な細胞(神経細胞、心筋細胞など)に分化させて移植する再生医療への応用が期待されています。これにより、拒絶反応のリスクが極めて低い個別化された再生医療が可能になります。
疾患治療のパラダイムシフト:個別化医療の臨床応用
個別化医療は、特定の疾患を持つ患者グループ全体を一括りにするのではなく、一人ひとりの生物学的特性に基づいた最適な治療法を提供することで、従来の疾患治療のあり方を根本から変えようとしています。特に、がん、希少疾患、そして感染症といった分野で、その応用は目覚ましい進展を見せています。がん治療の個別化:精密医療の最前線
がんは遺伝子変異によって引き起こされる疾患であり、その変異パターンは患者ごとに大きく異なります。個別化医療は、このがんの多様性に対応するための最も強力なアプローチです。- 分子標的薬: がん細胞特有の遺伝子変異やタンパク質を標的とする薬剤です。患者のがん組織から遺伝子解析を行い、特定の変異が見つかった場合にのみ、その変異に対応する分子標的薬が処方されます。これにより、治療効果を高めつつ、正常細胞へのダメージを最小限に抑えることができます。
- 免疫チェックポイント阻害薬: がん細胞が免疫システムから逃れるメカニズムを阻害し、患者自身の免疫細胞ががんを攻撃できるようにする薬剤です。この薬剤の効果は、患者のPD-L1発現状況や腫瘍変異負荷(TMB)などのバイオマーカーによって予測され、個別化された治療戦略に役立てられています。
- リキッドバイオプシー: 血液中に存在するがん細胞由来のDNA(循環腫瘍DNA: ctDNA)を解析することで、非侵襲的にがんの遺伝子変異を検出し、治療効果をモニタリングする技術です。これにより、治療の初期段階から薬剤選択を最適化し、再発の早期発見にも貢献します。
希少疾患への希望:遺伝子治療の進展
希少疾患の多くは単一遺伝子の異常によって引き起こされますが、患者数が少ないため、研究開発が進みにくいという課題がありました。しかし、CRISPRをはじめとする遺伝子編集技術の登場は、希少疾患に対する治療法開発に新たな光を当てています。- 遺伝子補充療法: 異常な遺伝子を、正常な遺伝子を導入することで補う治療法です。脊髄性筋萎縮症(SMA)に対するゾルゲンスマ、レーバー先天性黒内障に対するルクスターナなどが既に承認されており、劇的な効果を示しています。
- 遺伝子編集による直接修正: CRISPRを用いて、疾患の原因となる遺伝子変異を直接修正するアプローチです。鎌状赤血球症やβサラセミアに対するex vivo遺伝子治療の臨床試験が良好な結果を示しており、将来的には体内で直接遺伝子を編集するin vivo治療への応用も期待されています。
感染症、予防医療、そして薬物動態学への応用
個別化医療の恩恵は、がんや希少疾患に留まりません。- 感染症: ウイルス性疾患(例:HIV)に対する遺伝子編集アプローチや、宿主側の遺伝的要因を考慮した個別化された抗ウイルス薬の選択、さらには個人の免疫プロファイルに基づいたワクチン開発も研究されています。
- 予防医療: 個人の遺伝的リスクプロファイルを解析することで、将来発症する可能性のある疾患を予測し、生活習慣の改善や早期介入による予防策を講じることが可能になります。例えば、特定の遺伝子変異を持つ人には定期的なスクリーニングを推奨するなどです。
- ファーマコゲノミクス(薬物ゲノム学): 遺伝子情報に基づいて、薬の効きやすさや副作用の出やすさを予測する学問です。特定の遺伝子型を持つ患者には、標準量よりも少ない量で効果が得られたり、あるいは特定の薬が効きにくい、副作用が出やすいといった情報を提供することで、最適な薬剤と用量を個別化することが可能になります。これにより、医療費の削減、不必要な副作用の回避、治療効果の最大化が期待されます。
| 承認された遺伝子治療薬の例(一部) | 疾患名 | 作用機序 | 承認年(米国FDA) |
|---|---|---|---|
| Kymriah (Tisagenlecleucel) | B細胞性急性リンパ性白血病、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 | CAR-T細胞療法 | 2017 |
| Yescarta (Axicabtagene Ciloleucel) | びまん性大細胞型B細胞リンパ腫、濾胞性リンパ腫 | CAR-T細胞療法 | 2017 |
| Luxturna (Voretigene Neparvovec) | レーバー先天性黒内障(遺伝性網膜疾患) | RPE65遺伝子補充療法 | 2017 |
| Zolgensma (Onasemnogene Abeparvovec) | 脊髄性筋萎縮症 (SMA) | SMN1遺伝子補充療法 | 2019 |
| Casgevy (Exagamglogene Autotemcel) | 鎌状赤血球症、βサラセミア | CRISPR-Cas9遺伝子編集(ex vivo) | 2023 |
出典: FDA承認情報に基づきTodayNews.proが作成。
これらの進展は、個別化医療がもはやSFの世界の話ではなく、目の前の臨床現場で患者の命を救い、生活の質を向上させている現実であることを示しています。倫理的課題と社会への影響:進歩と責任の狭間で
遺伝子編集技術と個別化医療の進歩は、人類に計り知れない恩恵をもたらす一方で、深く複雑な倫理的、社会的、法的課題を提起しています。これらの課題に真摯に向き合い、適切なガバナンスと社会的な合意形成を進めることが、技術の健全な発展には不可欠です。「デザイナーベビー」と生殖細胞系列編集の議論
最も議論を呼ぶのは、ヒトの生殖細胞系列(精子、卵子、受精卵)の遺伝子編集です。生殖細胞系列の編集は、その変化が次世代の子孫へと受け継がれることを意味します。これにより、特定の遺伝性疾患を根絶できる可能性を秘める一方で、「デザイナーベビー」の懸念、すなわち親が望む特性(知能、身体能力、外見など)を持つ子どもを遺伝子操作によって作り出すという倫理的な問題が浮上します。 多くの国では、現時点で生殖細胞系列の編集を禁止または厳しく規制しており、その科学的、倫理的な影響について国際的な議論が続いています。技術的な安全性や予測不可能性も大きな懸念事項であり、安易な応用は避けるべきであるという強いコンセンサスが存在します。ゲノム情報のプライバシーとセキュリティ
個人のゲノム情報は、その人の健康状態、疾患リスク、さらには血縁者の情報まで開示する、極めて機密性の高いデータです。個別化医療の普及に伴い、膨大なゲノムデータが医療機関や研究機関、さらには商業サービス(例:遺伝子検査サービス)に蓄積されることになります。- プライバシー侵害のリスク: ゲノム情報が不適切に扱われた場合、個人が差別(雇用、保険など)の対象となる可能性があります。
- データセキュリティの課題: サイバー攻撃などによりゲノムデータが流出した場合、個人情報が恒久的に悪用されるリスクがあります。
社会的不平等の拡大とアクセス格差
個別化医療、特に最先端の遺伝子治療は、開発コストが高く、初期の治療費が高額になる傾向があります。出典: Grand View Researchデータに基づきTodayNews.proが作成。
この高額な費用が、医療アクセスにおける新たな格差を生む可能性があります。もし、富裕層のみが最先端の個別化医療を受けられるようになれば、既存の医療格差がさらに拡大し、社会全体の不平等を助長することになりかねません。"遺伝子編集技術の倫理的側面は、単なる科学的議論を超え、社会全体の価値観と未来の世代に対する責任を問うものです。技術の恩恵を最大限に引き出しつつ、そのリスクを最小限に抑えるためには、多様な専門家と市民が参加する包括的な対話が不可欠です。"
このような課題に対し、各国政府、国際機関、研究者、倫理学者は、ガイドラインの策定、公的医療保険制度への組み込み、国際協力の強化など、多角的なアプローチで対応を進めています。技術の進歩は止まることはありませんが、その進歩の方向性を社会がどのようにコントロールしていくのかが、現代社会に突きつけられた大きな問いとなっています。
— 佐藤 恵子, 生物倫理学研究者
経済的側面とアクセシビリティ:普遍的恩恵への道
個別化医療の計り知れない可能性は認識されているものの、その高額なコストは、広く普及し、普遍的な恩恵をもたらす上での大きな障壁となっています。しかし、長期的視点で見れば、個別化医療は医療費全体の削減に寄与する可能性も秘めています。高騰する治療費と保険制度の課題
CRISPRを用いた遺伝子治療やCAR-T細胞療法など、最先端の個別化医療は、その研究開発に莫大な費用がかかるため、治療費も非常に高額になります。例えば、脊髄性筋萎縮症の遺伝子治療薬ゾルゲンスマは、一回投与で約2億円以上とされ、世界で最も高価な薬の一つとして知られています。 このような高額な治療費は、患者やその家族にとって大きな経済的負担となり、公的医療保険制度にとっても深刻な課題を突きつけています。多くの保険制度は、このような革新的ながらも高額な治療費をどのようにカバーすべきか、その判断に苦慮しており、財源の確保や費用対効果の評価が急務となっています。 遺伝子治療のコストに関するロイターの記事も参考になります。費用対効果と長期的視点
短期的な高額な治療費だけを見ると、個別化医療は費用対効果が悪いと見なされがちです。しかし、長期的な視点で見れば、その価値は大きく変わる可能性があります。- 根治的治療による生涯コストの削減: 遺伝性疾患の多くは生涯にわたる治療とケアが必要であり、その総費用は莫大です。一回の遺伝子治療で根治が実現すれば、長期的な医療費(入院費、薬代、介護費用など)を大幅に削減できる可能性があります。
- 不必要な治療の回避: ゲノム解析やバイオマーカーを用いることで、効果のない薬剤を投与し続けることによる医療費の無駄や、患者が被る副作用のリスクを回避できます。最適な治療法を早期に選択することで、時間とコストの節約につながります。
- 予防医療の強化: 遺伝的リスクに基づいた予防医療は、疾患の発症そのものを防ぐ、あるいは遅らせることで、将来的な治療費を抑制する最も効果的な手段です。
グローバルなアクセシビリティへの課題
高額な治療費は、先進国においてもアクセス格差を生む可能性がありますが、途上国や低所得国にとってはさらに深刻な問題となります。これらの国々では、基本的な医療インフラさえ十分に整備されていないことが多く、最先端の個別化医療へのアクセスは夢のまた夢となりかねません。 グローバルな医療の公平性を確保するためには、国際的な協力体制の構築、薬剤価格の交渉、ジェネリック医薬品の開発促進、技術移転の推進など、多角的なアプローチが求められます。個別化医療が真に「普遍的な恩恵」となるためには、技術の進化だけでなく、その社会的な分配メカニズムの確立が不可欠です。健康寿命の延伸へ:個別化医療が描く未来図
個別化医療の進展は、単に病気を治すだけでなく、人々の健康寿命を延伸し、生活の質を向上させるという壮大なビジョンを描いています。遺伝子技術、データ科学、そして予防医学の融合が、これからのヘルスケアの未来を形作っていくでしょう。予防とウェルネスへのシフト
現在の医療は、病気が発症してから治療を行う「対処療法」が中心です。しかし、個別化医療は、個人の遺伝的リスクや生活習慣を詳細に分析することで、病気の発症前に介入し、予防に重点を置く「予防医療」へのパラダイムシフトを促進します。- 個別化された生活習慣指導: 遺伝子情報に基づいて、特定の栄養素の代謝効率や運動反応性を評価し、一人ひとりに最適な食事、運動、ライフスタイルを提案します。
- 疾患リスクの早期予測と介入: 特定の疾患(がん、心疾患、糖尿病など)の発症リスクが高い個人を特定し、定期的なスクリーニング、早期治療、あるいは遺伝子編集による予防的介入を検討します。
- 健康モニタリングの進化: ウェアラブルデバイスやバイオセンサーから得られるリアルタイムの生体データとゲノム情報を統合し、個人の健康状態を常時監視し、異常の早期発見と迅速な介入を可能にします。
デジタルヘルスとの統合とAIの役割
個別化医療の実現には、膨大なゲノムデータ、臨床データ、生活習慣データを統合し、解析する能力が不可欠です。この点で、デジタルヘルス技術と人工知能(AI)は中心的な役割を担います。- AIによる診断支援: ゲノムデータ、画像データ、病理データなどをAIが統合的に解析し、より正確な診断や治療法の選択を支援します。特に希少疾患の診断においては、AIが診断までの時間を大幅に短縮する可能性があります。
- 新薬開発の加速: AIは、薬剤標的の特定、候補化合物のスクリーニング、臨床試験のデザイン最適化など、新薬開発プロセスのあらゆる段階で活用され、開発期間とコストの削減に貢献します。
- 電子カルテとデータ連携: 複数の医療機関や研究機関に分散している患者データをセキュアに連携・共有することで、より包括的な個別化医療を提供するための情報基盤が整備されます。
Q: CRISPRとは何ですか?
A: CRISPR-Cas9は、特定のDNA配列を非常に正確に、かつ比較的簡単に編集できる革新的な遺伝子編集技術です。細菌がウイルスから身を守るための免疫システムに由来し、病気の原因となる遺伝子を修正したり、新しい遺伝子を挿入したりするために利用されます。
Q: 個別化医療はどのように機能しますか?
A: 個別化医療は、患者一人ひとりの遺伝子情報、生活習慣、環境要因などを詳細に分析し、その人に最も適した予防、診断、治療法を提供する医療アプローチです。画一的な治療ではなく、個人の生物学的特性に基づいたオーダーメイドの医療を目指します。
Q: 遺伝子編集には倫理的な問題がありますか?
A: はい、遺伝子編集には倫理的な問題が伴います。特に、次世代に影響を与える可能性のあるヒトの生殖細胞系列の編集(いわゆる「デザイナーベビー」の可能性)や、ゲノム情報のプライバシー保護、治療費の高額化による医療格差の拡大などが主な懸念事項として挙げられます。
Q: 個別化医療はいつから広く利用できるようになりますか?
A: 個別化医療の一部の側面(例: 特定のがんに対する分子標的薬、一部の希少疾患に対する遺伝子治療)は既に臨床現場で利用可能ですが、広く一般に普及するにはまだ時間がかかります。技術のさらなる進化、コストの低減、倫理的・法的枠組みの整備、医療保険制度への組み込みなど、多くの課題を解決する必要があります。
Q: CRISPR以外の次世代遺伝子編集技術にはどのようなものがありますか?
A: CRISPR-Cas9をさらに改良した技術として、DNAの二重らせんを切断せずに一塩基を変換する「ベース編集」や、より長いDNA配列の挿入・置換・削除を可能にする「プライム編集」などがあります。これらは、より高い精度と多様な編集能力を持ち、CRISPR-Cas9では困難だった疾患の治療に新たな道を開くことが期待されています。
